カビの発生に関する責任の所在と賃借人の管理義務との関係

新築物件における賃貸借契約では、建物の初期不良と賃借人の管理責任の境界線が重要な争点となることがあります。
特に湿気の多い日本においては、カビの発生原因をめぐって賃貸人と賃借人の間で争いが生じやすく、その責任分担は実務上の大きな課題です。
今回ご紹介する横浜地方裁判所平成8年3月25日判決は、新築マンションで発生したカビについて、建物の構造的問題と賃借人の管理責任を総合的に考慮して責任を分担した画期的な判例です。
この事例では、一審では賃借人の責任を完全に否定したものの、控訴審では新築物件の特性を考慮した上で、賃借人にも一定の管理責任があると判断し、修繕費用の2割負担を命じました。
本記事では、新築物件におけるカビ発生の責任分担原則と、賃借人の適切な管理義務について詳しく解説いたします。

監修者
1982年にサレジオ学院高校を卒業後、中央大学法学部法律学科に進学し1987年に卒業。法曹界を志し、様々な社会経験を経た後、2016年に行政書士試験に合格。2017年4月に「綜合法務事務所君悦」を開業。法律知識と実務経験を活かし、国際業務を中心に寄り添ったサービスを提供している。
日本行政書士会連合会 神奈川県行政書士会所属
登録番号 第17090472号
概要
本事例は、横浜市内の新築マンションにおけるカビ発生の責任を巡る争いです。
平成元年7月2日に締結された賃貸借契約は、月額賃料9万7000円で約5年間継続し、平成6年3月31日に終了しました。

- 物件
横浜市内の新築マンション - 賃借期間
平成元年7月〜平成6年3月(約5年間) - 月額賃料
9万7000円(更新後10万7000円) - 争点となった金額
補修工事費用46万9474円(賃貸人請求額)
契約終了後、賃貸人は通常の使用による損害以上に損害を与えたとして、カビによる内装の張替え等の補修工事費用46万9474円を支出し、敷金(入居時に預ける保証金)を充当したため返還できないと主張しました。
主な補修内容は、畳裏返し、洋間カーペット取替え、各室の壁・天井張替え、網入りガラス張替え、トイレタオル掛け取付けでした。
賃借人は敷金21万4000円の返還を求めて提訴し、新築物件におけるカビ発生の責任の所在が主要な争点となりました。
契約内容と特約の詳細
本件賃貸借契約は、新築マンションという物件の特性が重要な要素となっていました。

- 契約の基本条件
- 契約期間:2年間(自動更新)
- 賃料:当初9万7000円、更新時10万7000円
- 敷金:当初19万4000円、更新時21万4000円
- 物件:新築マンション
- 発生した損傷の詳細
- 洋間カーペット:カビによる染み
- 壁・天井:カビ・染みによる張替えが必要
- 網入りガラス:破損による取替え
- トイレタオル掛け:破損による取替え
賃貸人の主張によれば、賃借人が通常の使用による損害以上に損害を与えたため、46万9474円の補修工事が必要になったとされました。
特に新築物件であったにも関わらず、入居から約5年でカビが相当な程度・範囲に及んでいたことが重要な争点でした。
判決では、同一建物内の他の部屋では同程度のカビが発生していなかったという事実も、責任分担の判断において重要な要素となりました。
新築物件の特性として、壁等に多量の水分が含有されやすく、カビが発生しやすい状況にあったことも契約当事者双方が認識すべき重要な条件でした。
賃貸人・賃借人の主張のポイント
本件では、新築物件におけるカビ発生の原因と責任について、当事者間で対立する主張が展開されました。
争点 | 賃貸人側の主張 | 賃借人側の主張 |
---|---|---|
カビ発生の原因 | 賃借人の不適切な管理により発生 | 新築物件の構造的問題による自然発生 |
損害の程度 | 通常使用を超える相当な程度のカビ汚損 | 新築物件では予想される範囲内 |
責任の所在 | 賃借人の管理義務違反 | 建物の構造上の問題 |
他室との比較 | 同じ建物でも本件のような被害はない | – |
賃貸人側は、同一建物内の他の部屋では同程度のカビが発生していないことを根拠に、賃借人の管理に問題があったと主張しました。
また、カビが相当の程度・範囲に及んでいたため、通常の使用によるものとは認められないとの立場を取りました。
一方、賃借人側は新築物件の特性として壁等に多量の水分が含有されており、カビの発生は構造的な問題によるものであると反論しました。
さらに、居住者が故意にカビを多発させることは考えられず、賃借人に具体的な原因があったとは認められないと主張していました。
裁判所の判断と法的根拠
本件では一審と控訴審で判断が分かれ、控訴審が最終的な基準を示しました。
審級 | 判断内容 | 結論 |
---|---|---|
一審(保土ヶ谷簡易裁判所) | すべて通常の使用により生ずる損害・損耗として賃貸人負担 | 敷金全額返還 |
控訴審(横浜地方裁判所) | カビ発生に賃借人の管理問題も寄与しているとして2割負担 | 敷金から3万円控除 |
一審では、新築物件の構造的問題を重視し、「本件建物が新築であったために壁等に多量の水分が含有されていたことは経験則上認められ、また、居住者がことさらにカビを多発せしめるということは到底考えられない」と判断しました。
しかし控訴審では、より詳細な事実認定を行い、「本件建物が新築でカビが発生しやすい状態であったことを考慮しても、賃借人の通常の態様で使用したことから当然に生じた結果ということはできず、賃借人の管理、すなわちカビが発生した後の手入れにも問題があった」と判断しました。
最終的に控訴審は、カビの汚れについて賃借人にも2割程度の責任があるとし、修繕費15万5200円のうち3万円を賃借人負担としました。
この判断は、建物の構造的問題と賃借人の管理責任を適切に分担した画期的な判例として位置づけられています。
判例から学ぶポイント
この判例は、カビ発生の責任分担における重要な判断基準を示しました。

カビ発生における責任分担の原則
- 複合的要因の考慮
建物の構造的問題と賃借人の管理状況を総合的に判断 - 比較検討の重要性
同一建物内の他室との比較による客観的評価 - 按分負担の可能性
責任を完全に二分せず、適正な割合による分担
最も重要な教訓は、カビ発生について建物の構造的問題があっても、賃借人の管理状況によっては一定の責任が認められる可能性があるという点です。
特に新築物件においても、「カビが発生した後の手入れ」という事後的な管理義務が重要な判断要素となることが明確になりました。

実務への重要な影響
- 新築物件でも賃借人の管理義務は存在する
- 客観的比較資料(他室の状況等)が重要な証拠となる
- 按分による責任分担は合理的解決手段
実務的には、カビの発生が確認された場合の適切な対応手順と、その記録保持の重要性が確認されました。
また、新築物件であっても賃借人には一定の注意義務があり、特にカビの早期発見と適切な対処が求められることが明らかになりました。
この判例は、建物の欠陥と使用者の責任を適切に分担する現実的な解決手法を示した重要な先例として評価されています。
賃貸借契約における実践的対策
新築物件や湿気の多い環境では、カビ対策に関する予防措置と対応手順の確認が重要です。

契約締結時の注意点
- 新築物件の場合の湿気対策について事前確認
- カビ発生時の責任分担を契約書に明記
- 適切な換気・除湿に関する説明の受領
借主の皆様にアドバイスしたいのは、まず新築物件や築浅物件では湿気管理に特に注意を払うことです。
日常的な換気の実施、除湿器の活用、定期的な清掃など、基本的な管理義務を怠らないことが重要です。
カビの発生を発見した場合は、直ちに適切な対処を行い、その経過を写真等で記録しておくことをお勧めします。
また、同じ建物の他の部屋の状況についても情報収集し、建物全体の問題かどうかを判断する材料を準備しておくことが大切です。
契約書にはカビ発生時の対応手順と責任分担を明確に記載してもらい、曖昧な表現は避けるよう注意してください。
適切な予防と早期対応により、大きなトラブルを避けることが可能です。
まとめ
横浜地方裁判所の本判決は、新築物件におけるカビ発生の責任分担について画期的な判断基準を示しました。
建物の構造的問題と賃借人の管理責任を総合的に考慮し、2割という具体的な按分を行った点は、実務上極めて有用な先例となっています。
この判例により、カビの発生が必ずしも建物の欠陥のみに起因するものではなく、使用者の管理状況も重要な要素であることが確立されました。
実務においては、予防的管理と早期対応、適切な記録保持により、公正な責任分担が可能となります。
新築物件や湿気の多い環境における賃貸借契約では、当事者双方が適切な注意義務を負い、協力して良好な住環境を維持することが重要です。
- 新築物件でもカビ発生に賃借人の管理責任が認められる場合がある
- 建物の構造的問題と使用者の管理状況を総合的に判断して責任を按分する
- 同一建物内の他室との比較が客観的判断の重要な材料となる
- カビ発生後の適切な手入れも賃借人の重要な義務の一つである
- 予防的管理と早期対応、適切な記録保持が紛争回避の鍵となる
参照元:原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)【判例9】
