ハウスクリーニング特約の有効性を認めた重要判例の示す法的意義

賃貸借契約における退去時のハウスクリーニング(専門業者による室内清掃)費用負担は、現在でも多くのトラブルの原因となっています。
通常損耗(普通に使っていてできる傷み)は賃借人の負担対象外というのが基本原則である一方、明確で合理的な特約がある場合の扱いは複雑な法的問題となります。
今回ご紹介する東京地方裁判所平成21年5月21日判決は、「専門業者のハウスクリーニング代(清掃にかかる費用)を負担する」という明確な特約の有効性を認めた重要な判例です。
この事例では、契約更新時に新たに追加されたハウスクリーニング特約について、最高裁平成17年判決の厳格な基準をクリアした特約として有効性が認められました。
本記事では、この判例の詳細な分析を通じて、ハウスクリーニング特約の有効要件と、賃貸借契約における適正な負担区分(誰が費用を払うかの分け方)について解説いたします。

監修者
1982年にサレジオ学院高校を卒業後、中央大学法学部法律学科に進学し1987年に卒業。法曹界を志し、様々な社会経験を経た後、2016年に行政書士試験に合格。2017年4月に「綜合法務事務所君悦」を開業。法律知識と実務経験を活かし、国際業務を中心に寄り添ったサービスを提供している。
日本行政書士会連合会 神奈川県行政書士会所属
登録番号 第17090472号
概要
本事例は、東京都内の木造モルタル2階建て一戸建住宅における約10年間の賃貸借契約終了時のトラブルです。
平成9年9月27日に開始された賃貸借契約は、平成17年10月の更新時に重要な変更が加えられました。

- 物件
木造モルタル2階建て一戸建住宅 - 賃借期間
平成9年9月〜平成19年4月(約10年間) - 月額賃料
13万円(更新後) - 敷金
27万円 - 争点となった金額
ハウスクリーニング代6万3000円
この更新で新たに「明け渡しをするときは、専門業者のハウスクリーニング代を負担する」という特約が追加されたことが、後の争点となりました。
平成19年4月30日の契約終了時、賃借人は敷金(入居時に預ける保証金)27万円の全額返還を求めましたが、賃貸人はハウスクリーニング代と内装工事費の控除を主張し、法的争いに発展しました。
約10年という長期間の居住による損耗の性質判定と、明確な特約の有効性が主要な争点となった事案です。
契約内容と特約の詳細
本件で最も重要なのは、平成17年10月の契約更新時に明確に追加されたハウスクリーニング特約です。

- ハウスクリーニング特約の内容
- 「明け渡しをするときは、専門業者のハウスクリーニング代を負担する」
- 契約更新時の契約書に明記
- 実際のクリーニング費用:6万3000円
- その他の損耗項目
- 和室壁面のタバコのヤニによる汚損
- 和室障子の大きな破れ
- トイレ扉下方の汚れ
- 和室畳2枚の黄ばみ・シミ
ハウスクリーニング特約は、平成9年の当初契約には存在せず、平成17年の更新時に新たに追加された条項でした。
この特約の表現は「専門業者のハウスクリーニング代を負担する」という明確で具体的なものであり、賃借人の負担内容が一義的に理解できる内容でした。
また、本件では通常の原状回復(元の状態に戻すこと)に関する包括的な特約は存在せず、ハウスクリーニング以外の損耗については一般的な原状回復義務の範囲で判断されることとなりました。
賃貸人が請求した内装工事費は、主に喫煙による壁紙の汚損や畳の著しいシミなど、通常使用を明らかに超える損耗に対するものでした。
賃貸人・賃借人の主張のポイント
本件では、ハウスクリーニング特約の有効性と損耗の性質判定が主要な争点となりました。
争点 | 賃貸人側の主張 | 賃借人側の主張 |
---|---|---|
ハウスクリーニング特約 | 契約書に明記された特約に基づき、専門業者によるクリーニング費用は賃借人負担 | 通常の清掃義務の範囲を超える特約は無効 |
内装工事費 | 喫煙による汚損等は通常使用を超える損耗であり、賃借人が負担すべき | 長期居住による経年変化の範囲内 |
工事期間中の賃料 | 明け渡し後の工事期間中も賃料相当損害金が発生 | 工事は賃貸人の都合によるもの |
賃貸人側は、平成17年の契約更新時に明確に合意されたハウスクリーニング特約の有効性を主張し、実際に支出した6万3000円の負担を求めました。
また、約10年間の居住期間中に生じた壁紙の喫煙汚損や畳の著しいシミなどは、通常使用を明らかに超える損耗であり、賃借人の負担とすべきだと主張しました。
一方、賃借人側は、ハウスクリーニング費用は通常の清掃義務の範囲であり、特約による負担は消費者に不利益な条項として無効であると反論しました。
内装の損耗についても、10年という長期間の居住を考慮すれば経年変化の範囲内であり、賃借人に特別な過失があったわけではないと主張していました。
裁判所の判断と法的根拠
裁判所は、最高裁平成17年判決の基準に照らして、ハウスクリーニング特約の有効性を詳細に検討しました。
判断項目 | 裁判所の認定 | 結論 |
---|---|---|
ハウスクリーニング特約 | 契約書に明記され、内容が一義的に明らか。特約として有効 | 賃借人負担(6万3000円) |
通常損耗を超える損耗 | タバコのヤニ、障子の破れ、畳のシミは特別損耗に該当 | 賃借人負担(8万430円) |
工事期間中の賃料 | 通常損耗と特別損耗の補修は同時施工可能であり、法的根拠なし | 賃借人負担なし |
ハウスクリーニング特約については、「本件賃貸借契約の更新の際に作成された契約書に明記されており、その内容も一義的に明らかといえる」と判断し、最高裁平成17年判決の要求する明確性の基準を満たすと認定しました。
損耗の性質判定では、和室壁面のタバコのヤニによる汚損は「クリーニング等によっても除去できない程度」に達しており、通常損耗を超える特別損耗と認定しました。
一方、賃貸人が請求した工事期間中の賃料相当損害金については、「通常損耗を超えた損耗の補修は、通常損耗の補修と同時に行い得るものであるから、その補修期間に相当する賃料相当損害金を敷金に充当すべき法的根拠はない」として否定しました。
最終的に、敷金27万円からクリーニング代6万3000円と内装工事費8万430円を控除した12万6570円の返還を命じました。
判例から学ぶポイント
この判例は、ハウスクリーニング特約の有効要件を明確に示した重要な先例となりました。

有効なハウスクリーニング特約の要件
- 明確な記載
契約書に「専門業者のハウスクリーニング代を負担する」等の具体的記載 - 一義的な理解可能性
賃借人の負担内容が明確に理解できること - 更新時の合意
契約更新時に新たに追加された特約でも有効となり得る
最も重要な教訓は、ハウスクリーニング特約が有効となるためには、最高裁平成17年判決の厳格な基準を満たす必要があるという点です。
本件では「専門業者のハウスクリーニング代を負担する」という明確で具体的な表現により、賃借人の負担内容が一義的に理解できると判断されました。

実務への重要な影響
- 明確な特約は通常損耗の負担転嫁も可能
- 契約更新時の新特約も有効性あり
- 工事期間中の賃料請求は原則として認められない
また、通常損耗と特別損耗の区別についても、具体的な事実に基づいた慎重な判断が必要であることが確認されています。
喫煙による壁紙の汚損など、明らかに通常使用を超える損耗については、長期居住の場合でも賃借人負担となることが示されました。
賃貸借契約における実践的対策
ハウスクリーニング特約を含む賃貸借契約書の締結時には、特約の内容と有効性を慎重に確認することが重要です。

契約締結時の注意点
- ハウスクリーニング特約の具体的内容と金額の明記
- 「専門業者による」等の具体的な作業内容の確認
- 他の原状回復特約との関係性の整理
借主の皆様には、まずハウスクリーニング特約の表現が明確で具体的かどうかを確認していただきたいと思います。
「清掃費用」「ルームクリーニング代」等の曖昧な表現ではなく、「専門業者によるハウスクリーニング代」のように具体的な記載があるかをチェックしてください。
また、ハウスクリーニング特約がある場合でも、それ以外の通常損耗まで賃借人負担とする条項がないか注意深く確認することが必要です。
契約更新時に新たな特約が追加される場合は、その必要性と合理性を十分に検討し、疑問があれば専門家に相談することをお勧めします。
退去時のトラブルを避けるため、入居時に物件の状況を写真等で記録し、通常使用の範囲を意識した生活を心がけることも大切です。
まとめ
東京地方裁判所の本判決は、ハウスクリーニング特約の有効性について明確な判断基準を示した重要な判例です。
「専門業者のハウスクリーニング代を負担する」という明確で具体的な特約は、最高裁平成17年判決の基準を満たし、有効な合意として認められることが確立されました。
この判例により、適切に作成されたハウスクリーニング特約は法的拘束力を持つことが明確になり、賃貸借契約実務に大きな影響を与えています。
一方で、通常損耗と特別損耗の区別は依然として個別具体的な判断が必要であり、長期居住でも明らかに通常使用を超える損耗は賃借人負担となることも示されました。
適正で明確な特約の設定により、賃貸人・賃借人双方の権利を保護し、紛争の予防につながる重要な判例として位置づけられています。
- ハウスクリーニング特約は明確で具体的な記載により有効となる
- 契約更新時に追加された特約でも適正な手続きにより有効性を持つ
- 通常損耗と特別損耗の区別は個別具体的な事実に基づいて判断される
- 工事期間中の賃料相当損害金は原則として賃借人の負担とならない
- 最高裁平成17年判決の基準を満たす特約は消費者保護の観点でも有効となる
参照元:原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)【判例33】
