
原状回復ガイドライン事例8の判決と退去費用の負担
退去時に管理会社から「修繕費用を全額負担してほしい」と言われて困った経験はないでしょうか。
本記事で紹介するのは、国土交通省の原状回復ガイドラインに事例8として掲載された、修繕・模様替えに関する特約条項の有効性が争われた裁判です(ガイドライン事例集2)。
この裁判では、畳・襖・障子・クロス・じゅうたんの張替えとドアのペンキ塗替えの費用負担が争点となりました。
裁判所はドアのペンキ塗替え費用のみ借主負担とし、それ以外の通常損耗については貸主が負担すべきと判断しました。

監修者
1982年にサレジオ学院高校を卒業後、中央大学法学部法律学科に進学し1987年に卒業。法曹界を志し、様々な社会経験を経た後、2016年に行政書士試験に合格。2017年4月に「綜合法務事務所君悦」を開業。法律知識と実務経験を活かし、国際業務を中心に寄り添ったサービスを提供している。
日本行政書士会連合会 神奈川県行政書士会所属
登録番号 第17090472号
ガイドライン事例8で示された特約条項の解釈と裁判所の判断

- 賃貸借契約の修繕特約をめぐり借主と貸主の費用負担が争われた経緯
- 裁判所はドアのペンキ塗替えのみ借主負担とし他の通常損耗は貸主負担と判断した
- クロスの耐用年数6年と残存価値の計算方法で借主負担額が決まる

「契約書に書いてあるから全額負担」と管理会社から言われたとき、本当にその請求が正しいのか判断できるでしょうか。
ガイドライン事例8の名古屋地裁判決は、修繕特約の文言があっても通常損耗まで借主に負担させることはできないとした重要な先例です。
賃貸借契約の修繕特約をめぐり借主と貸主の費用負担が争われた経緯

まず、この事例の背景となる契約内容を確認します。
賃貸借契約書には「退去時に畳・襖・障子・クロス・じゅうたん等を賃借人の負担で修復する」という特約条項が記載されていました。
貸主はこの特約を根拠に、畳・襖・障子・クロス・じゅうたんの張替えとドアのペンキ塗替えの費用を合算し、全額を借主に請求しました。
これに対し借主は、通常の使用で生じた損耗は特約の対象に含まれない通常損耗であると主張して費用負担を拒否し、裁判に至りました。
特約があっても通常損耗が借主負担にならないケースがあることを知っておくと、退去時の交渉で役立ちます。
民法第621条:賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に回復する義務を負う。
裁判所はドアのペンキ塗替えのみ借主負担とし他の通常損耗は貸主負担と判断した


次に、裁判所が各損耗箇所についてどのように判断したかを整理します。
畳・襖・障子・クロス・じゅうたんの張替えについては、いずれも通常の使用による自然な損耗と認められ、貸主が費用を負担すべきとされました。
一方、ドアのペンキ塗替えについては借主の使用方法に問題があったと認定され、ドアの塗替え費用のみが借主負担という判断が下されました。
この判決は、特約に修繕義務が定められていても、借主の故意や過失による損耗と通常損耗を明確に区別して費用負担を判断した点で重要な意味を持ちます。
通常の使用で生じた損耗の修繕費用は、貸主が負担するのが法律上の原則です。
民法第606条第1項:賃貸人は、賃貸物の使用及び収益に必要な修繕をする義務を負う。ただし、賃借人の責めに帰すべき事由によってその修繕が必要となったときは、この限りでない。
クロスの耐用年数6年と残存価値の計算方法で借主負担額が決まる
クロス・カーペット・クッションフロア等の耐用年数は6年です。要は入居期間が6年以上であれば、原状回復費用は発生しない(0円)ということになります。
さらに、この事例で争点となったクロス(壁紙)には、国土交通省のガイドラインで耐用年数6年が定められています。
定額法による残存価値の計算では、入居1年目の残存価値は約83%、3年目で約50%、そして6年目以降はほぼ1円となります。
たとえば、クロスの張替え費用が6万円の場合、入居3年目で借主負担は約3万円、6年以上入居していれば借主負担額はほぼゼロに近い金額になります。
入居年数に応じた残存価値を把握しておけば、退去費用の妥当性を判断する材料になります。
民法第400条:債権の目的が特定物の引渡しであるときは、債務者は、その引渡しをするまで、契約その他の債権の発生原因及び取引上の社会通念に照らして定まる善良な管理者の注意をもって、その物を保存しなければならない。
ガイドライン事例8から学ぶ退去費用の法的根拠と対処法


- 通常損耗を借主負担とする特約が有効になるための3つの要件がある
- 最高裁判所も通常損耗の原状回復特約には明確な合意を求めている
- 退去費用を不当に請求されたときは段階的に交渉を進められる


事例8の判決内容を理解したうえで、実際に退去費用を請求されたときにどう対処すればよいのか気になる方も多いでしょう。
ここでは、特約が有効になるための条件と最高裁の判断基準、そして不当な請求を受けたときの具体的な交渉手順を解説します。
通常損耗を借主負担とする特約が有効になるための3つの要件がある


まず、事例8の名古屋地裁が特約による通常損耗の借主負担を認めなかった理由を整理します。
国土交通省のガイドラインでは、通常損耗を借主負担とする特約が有効になるためには「特約の必要性があり暴利的でないこと」「借主が特約を十分に認識していること」「借主が義務負担の意思表示をしていること」の3つの要件を示しています。
事例8の契約書には「修復する」という文言はあったものの、通常損耗も含めて借主が負担するという具体的な範囲と金額の明示がない特約であったため、裁判所は特約の効力を否定しました。
この判決は、単に「修繕」「原状回復」と記載するだけでは、通常損耗まで借主に負担させることはできないという重要な基準を示しています。


特約の文言だけでなく、借主への説明と合意の有無が法的に重要な判断基準になります。
民法第90条:公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする。
最高裁判所も通常損耗の原状回復特約には明確な合意を求めている


加えて、最高裁判所も平成17年12月16日の判決で通常損耗の借主負担について同様の判断を示しています。
最高裁は、通常損耗について借主に原状回復義務を負わせるためには「契約書に具体的に明記されていること」または「口頭で説明し借主が明確に認識・合意していること」が必要であると判示しました。
この最高裁判決は全国の裁判所の判断基準となっており、ガイドライン事例8の名古屋地裁判決と合わせて理解すれば特約を根拠にした全額請求への対抗手段になります。
退去時に「特約があるから全額負担」と言われた場合は、最高裁の3要件を満たしているかを確認し、不足があれば交渉の根拠として活用できます。
最高裁の判断基準を知っていれば、退去費用の交渉で法的に有効な根拠を示すことができます。
民法第1条第2項:権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
退去費用を不当に請求されたときは段階的に交渉を進められる


最後に、退去費用の請求額に納得できないときの具体的な対処法を解説します。
第一段階として、管理会社に対して「請求に含まれる各項目が通常損耗に該当するか」「特約の有効要件を満たしているか」を書面で確認することが重要です。
書面での交渉で解決しない場合は、国民生活センター(消費者ホットライン188番)への無料相談や、請求額が60万円以下であれば簡易裁判所の少額訴訟制度を利用する方法もあります。
すでに支払った費用についても、不当利得として返還請求が可能な退去費用であれば取り戻すことができるため、泣き寝入りする必要はありません。


段階的に交渉を進めれば、不当な請求額を減額できるケースは少なくありません。
民法第703条:法律上の原因なく他人の財産又は労務によって利益を受け、そのために他人に損失を及ぼした者は、その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う。
よくある質問
まとめ
ガイドライン事例8は、修繕特約があっても通常損耗は貸主負担であることを明確に示した判決です。
退去時に高額な原状回復費用を請求された場合は、まず「通常損耗に該当するか」「特約の3要件を満たしているか」「耐用年数に基づく残存価値は考慮されているか」を確認しましょう。
この記事のポイントを振り返ります。
- 名古屋地裁はドアのペンキ塗替えのみ借主負担とし他の通常損耗は貸主負担と判断した
- 修繕特約があっても通常損耗は原則として貸主が費用を負担する
- クロスの耐用年数は6年で入居年数に応じて借主の負担額は減少する
- 通常損耗を借主負担にするには特約の3要件と借主の明確な合意が必要になる
- 不当な請求には書面での交渉や消費者センターへの相談で段階的に対処できる


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