
建替え退去で敷金は全額返還?原状回復費用との相殺が否定された東京地裁の判例を解説
貸主の都合で退去を求められたにもかかわらず、「原状回復費用を敷金から差し引く」と言われたら、その主張は法的に認められるのでしょうか。
本記事で紹介するのは、東京地方裁判所が平成27年11月26日に下した判決(RETIO No.397)です。
この裁判では、建物の建替えを理由に退去した借主に対し、貸主が原状回復費用を敷金から差し引いて返還しようとした行為の正当性が争われました。
裁判所は、建替えを予定している以上は原状回復工事が不要であるとして、貸主の相殺の主張を否定し、敷金全額の返還と違約金を合わせた558万円の支払いを命じました。

監修者
1982年にサレジオ学院高校を卒業後、中央大学法学部法律学科に進学し1987年に卒業。法曹界を志し、様々な社会経験を経た後、2016年に行政書士試験に合格。2017年4月に「綜合法務事務所君悦」を開業。法律知識と実務経験を活かし、国際業務を中心に寄り添ったサービスを提供している。
日本行政書士会連合会 神奈川県行政書士会所属
登録番号 第17090472号
東京地裁が示した建替え退去時の原状回復費用と敷金返還に関する判断

- 建替えを理由とした解約申入れから退去までの経緯と敷金をめぐる紛争
- 裁判所は建替え予定の建物には原状回復工事が不要と判断し敷金全額返還を命じた
- クロスの耐用年数6年と残存価値の計算方法を把握しておくことが重要になる

「建物を取り壊す予定なのに原状回復費用を請求された」という経験はありませんか。
この東京地裁の判決は、建替えを理由に借主を退去させた場合には原状回復費用を請求できないことを明確に示した重要な先例です。
建替えを理由とした解約申入れから退去までの経緯と敷金をめぐる紛争

まず、この裁判の背景を整理します。借主Xは本件建物の一室を月額賃料約7万200円で賃借しており、敷金として294万1200円を預け入れていました。
平成23年1月、貸主Yが本件建物の所有権を取得し、賃貸借契約の貸主の地位を承継しました。同年6月、貸主Yは建物の建替え工事を理由として借主Xに対し更新拒絶の通知を送付しました。
賃貸借契約の約定では、貸主からの解約申入れにより借主が明け渡す場合は、敷金全額を返還し、さらに敷金と同額の違約金を支払うと定められていました。
平成28年8月、借主Xは原状回復工事を行わずに建物を明け渡しました。ところが貸主Yは、原状回復費用を敷金から差し引くと主張し、敷金全額の返還を拒否しました。借主Xは敷金の全額返還と違約金の支払いを求めて訴訟を提起しました。
民法第622条の2は、賃貸借が終了し建物の返還がされたときに、敷金から未払い賃料等を控除した残額を返還する義務を定めています。
ゲン貸主の都合による退去の場合は、敷金の全額返還だけでなく違約金が定められているケースもあります。
民法第622条の2第1項:賃貸人は、敷金を受け取っている場合において、賃貸借が終了し、かつ、賃貸物の返還を受けたときは、その受け取った敷金の額から賃貸借に基づいて生じた賃借人の賃貸人に対する金銭の給付を目的とする債務の額を控除した残額を返還しなければならない。
裁判所は建替え予定の建物には原状回復工事が不要と判断し敷金全額返還を命じた


次に、裁判所が貸主の原状回復費用の相殺主張をどのように判断したかを整理します。
裁判所はまず、認定された事実関係から、貸主は借主に対して原状回復工事が必要であると伝えたことがなく、両者の間に原状回復工事に関する合意が成立したとは認められないと判断しました。
建物を建替えるのであれば全体を取り壊すことになるため、退去時に原状回復工事を行う必要はなく、原状回復費用を請求することには合理性がないと判示しました。
貸主Yは「建替え計画が頓挫した」「原状回復は契約上の義務である」と反論しましたが、裁判所は退去の経緯や建替え計画の存在を考慮し、原状回復義務を免除しました。
その結果、裁判所は敷金294万1200円の全額返還と違約金を合わせた558万円の支払いを貸主に命じました。



建替え予定があるにもかかわらず原状回復費用を請求することは、合理性がないと判断されます。
民法第621条:賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に回復する義務を負う。
クロスの耐用年数6年と残存価値の計算方法を把握しておくことが重要になる



クロス・カーペット・クッションフロア等の耐用年数は6年です。要は入居期間が6年以上であれば、原状回復費用は発生しない(0円)ということになります。
さらに、退去時の原状回復費用が問題になるケースでは、クロス(壁紙)の耐用年数を理解しておくことが費用削減の鍵になります。
国土交通省のガイドラインでは、クロスの耐用年数は6年と定められています。定額法による計算では入居1年目で残存価値は約83%、3年目で約50%、6年を経過すると残存価値は1円となります。
本件のように建替え予定がある場合は原状回復費用自体が不要ですが、通常の退去の場合でも耐用年数を超えた設備の費用は借主に請求できないことを覚えておきましょう。



入居年数ごとの残存価値を計算ツールで確認すれば、適正な負担額を簡単に把握できます。
民法第601条:賃貸借は、当事者の一方がある物の使用及び収益を相手方にさせることを約し、相手方がこれに対してその賃料を支払うこと及び引渡しを受けた物を契約が終了したときに返還することを約することによって、その効力を生ずる。
この判決から学ぶ貸主都合の退去時に知っておくべき権利と対処法


- 建替え・取壊しを理由とする退去では原状回復義務が免除される法的根拠を理解する
- 貸主都合の退去では正当事由と立退料が必要になることを知る
- 敷金の全額返還を確実に受けるための具体的な対処法を把握する


判決の内容を理解したうえで、貸主の都合による退去で借主が知っておくべき権利と具体的な対処法を確認しましょう。
ここでは、原状回復義務の免除条件と立退きの際の法的な保護、敷金の返還を確実に受けるための手順を解説します。
建替え・取壊しを理由とする退去では原状回復義務が免除される法的根拠を理解する


まず、建替えや取壊しを理由に退去した場合に原状回復義務が免除される法的根拠を整理します。
原状回復義務は、退去後に貸主が物件を次の入居者に貸し出すことを前提としています。しかし建物を取り壊す予定があれば、原状回復工事を行っても意味がなく、その費用を借主に負担させる合理性はありません。
本件の裁判所もまさにこの論理に基づき、建替え予定の建物には原状回復工事が不要であるとして、貸主の相殺主張を退けました。
貸主の都合で退去を求められた場合は、原状回復費用を敷金から差し引くことは認められず、敷金の全額返還を請求できる可能性が高いことを覚えておきましょう。





建替え・取壊し予定がある場合は原状回復が不要であることを書面で確認しておくことが大切です。
民法第1条第2項:権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
貸主都合の退去では正当事由と立退料が必要になることを知る


加えて、貸主が賃貸借契約の更新を拒絶するためには、借地借家法上の「正当事由」が必要であることを理解しておきましょう。
正当事由とは、貸主が建物の使用を必要とする事情に加え、建物の老朽化の程度や立退料の提供なども総合的に考慮して判断されるものです。
本件では建替え計画の存在が正当事由の一つとされましたが、その後計画が頓挫したことで貸主の主張の信用性が問われることとなりました。
貸主都合の退去を求められた場合は、正当事由の有無を確認するとともに、立退料や違約金の支払い義務が契約書に定められているかを必ず確認してください。
民法第90条は公序良俗に反する法律行為を無効としており、借主に一方的に不利な条件を強いる退去要求はこの規定に照らして問題となる場合があります。



貸主の都合による退去では、借主は敷金返還に加えて立退料も請求できるケースがあります。
民法第90条:公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする。
敷金の全額返還を確実に受けるための具体的な対処法を把握する


最後に、貸主都合で退去する際に敷金を確実に全額返還してもらうための対処法を解説します。
まずは退去前に「建替え予定であるため原状回復工事は不要である」旨を貸主に書面で確認してもらいましょう。書面での確認が退去後のトラブルを防ぐ最も確実な方法です。
退去後に敷金が返還されない場合は、内容証明郵便で返還を請求し、それでも解決しない場合は少額訴訟や通常訴訟で返還を求めることができます。


この判決のように、建替え予定であるにもかかわらず原状回復費用を請求する行為は信義則に反するため、借主は敷金の全額返還を強く主張できます。
民法第703条は不当利得の返還義務を定めており、法的根拠なく敷金から原状回復費用を差し引いた場合は、不当利得として返還請求の対象になります。



退去の経緯や建替え計画の存在を証明する書類は必ず保管しておきましょう。
民法第703条:法律上の原因なく他人の財産又は労務によって利益を受け、そのために他人に損失を及ぼした者は、その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う。
よくある質問
まとめ
この判決は、建替え予定の建物では原状回復工事が不要であるため、貸主が原状回復費用を敷金から差し引くことは認められないことを明確に示した先例です。
貸主の都合で退去を求められた場合は、原状回復費用の負担義務がないことを確認し、敷金の全額返還を請求することが重要です。
この記事のポイントを振り返ります。
- 東京地裁は建替え予定の建物に対する原状回復費用の請求を否定した
- 敷金全額の返還と違約金を合わせた558万円の支払いが命じられた
- 建替え予定がある場合は原状回復工事自体が不要と判断される
- 貸主都合の退去では正当事由の確認と立退料の請求を検討すべき
- 敷金返還の確保には退去前の書面確認と証拠の保管が重要


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